虫の一生
先日、長年の友人から転職の案内がきました。言葉は悪いですが世間で言うところの天下りの一つでしょうか。天下り自体の評価とは関係無しに、同世代の人がもうそういう歳になったのかと思うと感慨一入です。
思えば彼は私より5~6歳年上で私がサラリーマンの新入社員の頃、会社から派遣されたアメリカの大学に同じく彼の会社から派遣されてきました。お互いまだ二十台のあまり仕事の苦労もしていない年代でしたから、授業の合間にはよくゴルフに出かけたり、私のアパートで一緒に料理を作ったり、日本のアイドルの話で盛り上がったり、本当に仲良くさせていただきました。今でも彼のことはよく思い出しますが、私の中での彼は二十台のままです(もっともそのころから多少老けてはいましたが)。その後日本に帰ってからは住んでいる場所の違いもあり、毎年の年賀状のやりとりと彼から来る転勤の挨拶以外はほとんど様子をうかがい知ることは出来ないものの、それが一方的な想いであれ、彼は私の一生の中で最も大切な友人です。
話は飛びますが、時々虫の一生について考えることがあります。卵からかえって、えさを食べて大きくなり、発情期が来ると他のオスと壮絶な戦いをしながら子孫を残し、そして死んでいきます。その一生の中に、生きる意義だとか、明日への目標だとか、そんな難しい話は出てきません。そこにあるのはただただ虫の本能だけです。それでもそんな虫を見ながら、虫が生きる意義はどこにあるのだと考えてしまう自分に矛盾を感じます。
ヒトから見ればほんの短くてつまらないように見える虫の一生かもしれませんが、地球の悠久の歴史から考えると、ヒトの一生だって我々が思う虫の一生と変わらない程度の意味しかないのかもしれません。生まれて、学校に行って、働いて、子供を設けて、時期が来れば死んでしまう。その中のどこにヒトが生きる意義を見いだすことは出来るでしょうか。そこに見えるのは、虫と同じようにただ本能のままに生きているヒトの姿だけです。
結局人生って何だ?ヒトが生きるとはどういうことだ?というのが、友人の転職に際し、自分自身もある程度の齢に達した私の、心の中に浮かぶ感傷でした。
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